山代化染について

古くから、染色と水は密接な関係にありました。染料を溶かす。糊と混ぜ合わせる。次の色のために道具を洗う。染まった布を蒸気で蒸す。余分な染料・糊などを洗い流す。いくつもの過程で大量の水が使われます。だから、豊かな地下水と川の水に恵まれた京都、特に鴨川や桂川の近くには、昔から染物関係の工場がたくさんありました。ほんとに小さな工場ですが、山代化染もそのひとつです。
決して老舗というわけではなく、1962年、京都市中京区でサラリーマンをしていた私の父が一念発起して脱サラし、親族が営んでいた工場で染色の修業を始めたのが最初です。そしてまもなく、当時まだ農村の色が濃かった洛西・桂で地元の方から農地を買い受け、1964年、最初のオリンピックの年には自分の工場を建てました。なぜそんなスピード感で独立できたのか、16年前に他界した父に、一度はちゃんと聞いておくべきでした。ひとつには、それがまさに日本の高度経済成長というものであり、同時に、毎日早朝から夜更けまで、技術と知識の習得に励んだ父の努力の賜物でもあったのだと思います。1956年生まれの二代目こと私も、小学5年生くらいまでは、登校前や休みの期間などに工場の手伝いをしていました。けれどやがてそれも疎かになります。父は私に商才が皆無であることは早くから見抜いていたようで、後を継げとはひとことも言わず、私は大学を出てサラリーマンになってしまいました。父は代わりに私の妻を後継者に抜擢し、申し訳ないことに妻は下の子供が学齢に達するや否や工場の経理を担当する羽目になり、父が老境に達すると代表を任されてしまいました(すみません…)。その間、世の中では、オイルショックやバブル景気とその崩壊がありました。あらゆる産業で技術革新が進み、外国製品が押し寄せてきました。吹けば飛ぶよな山代化染も、そんな時代の変化の恩恵や厄難を受けて浮き沈みを繰り返してきた…のだと思います。その染色のスタイルにおいては、型(スクリーン)とヘラ(スキージ)を使って一色ずつ柄を重ねていく「手捺染」から、機械による「オート捺染」に。さらに、思い切って導入した専用の機械による「しごき」と呼ばれる地染めに特化して、活路を見出してきた…と聞きます。私はそんな変転をリアルタイムには露ほども知らず、入社した大阪の放送局で、約30年はテレビ番組の制作に、その後は演劇制作や劇場運営に携わり、計38年、定年まで勤めました。現在はたいそう遅れ馳せながら工場の仕事の手伝いをしつつ、(有)山代化染の一部門として、自分の経験を生かした仕事を行なうべく、個人事務所を作っています。つまり、おそらく有限会社山代化染は、日本で唯一の、《染色》および《芸能関連》を業務とする会社です。
いま、新しい技術や外国製品に押されて、京都の染色業は絶滅危惧種になりつつあります。年々減り続けるお仕事を嘆いているばかりでは仕方ない…と、当社はこのたび、工場の一部を大きくリノベーションして新しい試みに挑戦することになりました。
もしこのサイトを見つけてご興味を持たれた方は、是非しばらく見守ってやってください。ひょっとするとあなたの趣味やお仕事に役立つ、人生を豊かにする耳寄りな情報が出てくる・・・かもしれません。よろしくお願い致します
有限会社山代化染
取締役 山村啓介

※私、中学で演劇部に入って以来いまだに素人俳優をやっていまして、写真は、「眠る羊人間」役の稽古中に本当に眠り込んでしまったところです。
会社概要
| 社名 | 有限会社山代化染 |
| 英文社名 | Yamashirokasen Co.Ltd |
| 所在地 | 〒615-8223 京都府京都市西京区上桂前田町30番地 |
| TEL | 準備中 |
| E‐Mail | info@yamashirokasen.jp |
| 公式サイト | https://yamashirokasen.jp |
